■『海のはくぶつかん』1997年4月号

小さなカニの「バンザーイ」

 野口 文隆 

 みなさんは干潟(ひがた)と聞いてどのような場所を想像されますか?親しみがあるのは潮干狩りを行うような場所ではないでしょうか。干潟とは、海の潮が引いたときに現れる平らな砂や泥地のことです。潮の満ち引きが小さい日本海側では大きな干潟を見ることはありませんが、太平洋側では浅い入り江や湾内、河口などで大小さまざまな干潟が現れます。日本では九州の有明海が有名な場所ですが、当館のある静岡県では浜名湖に大きな干潟が現れます。それ以外にも川の河口に小さな干潟を見ることができます(写真1)。

浜名湖の干潟

 このような小さな干潟にもいろいろな生物が住んでいます。潮が引いて干潟が現れ、しばらくすると泥の中からたくさんのカニが現れます。チゴガニという、成長しても甲らの幅が1cm程にしかならない小さなカニです。「ちご」とは子供・乳飲み子という意味があり、チゴガニは大きさが小さく子供のカニの様に見えるため、名前にチゴとついたのではないかと思われます。また、静岡県では「マメガニ」などと呼んでいる地域もあります。
チゴガニ  チゴガニは日本海側を除く、各地の干潟に巣穴を掘ってすんでいます。日中、潮が引くと巣穴から出てきて動き始め、両方のハサミを上手に使ってどんどん泥を食べていきます。正確に言うと泥を食べているのではなく、泥と一緒に含まれている小さな植物や有機物などを口でこし取って食べているのです。食べ終えた泥は団子のような形で巣穴の近くに並べていきます(写真2)。
チゴガニのバンザーイ  餌を食べてから、しばらくすると「バンザーイバンザーイ」そんな声が聞こえてきそうな行動をはじめます(写真3)。このバンザーイのように見える行動はウェービングと呼ばれており、両方のはさみを同時に上下に振る行動です。季節によっても異なりますが、1分間に30〜40回も繰り返し行います。これは自分の縄張りをアピールするためや繁殖のための行動などと言われていますが、はっきりとはわかっていません。また、オス・メス関係なく行いますが、私が観察した限りではオスは盛んに行うのに対して、メスはそれほど行なっていないように見えます。一体、オス・メスの行動の違いにどのような意味があるのでしょうか?また、何のために行っているのでしょうか?何十回となくこの行動を観察してきましたが、見れば見るほど疑問を感じさせられてしまいます。
 干潟には無数のチゴガニたちがいますが、まるで言いあわせているかのようにバンザーイをしています。のんきなようですが動きは素早く、観察しているときに少しでもこちらのほうが動くといっせいに巣穴の中に入ってしまいます。
外をうかがうチゴガニ  しばらくすると巣穴から長い目をヒョイと出して、外の様子をうかがいながら徐々に出てきます(写真4)。
 驚いたとき以外にも、体が乾燥してくると水分を補給するために巣穴に入っていきます。しばらくして巣穴から出てくるとシャワーを浴びたように体に水がつき、光が当たるときらきらと体が光っています。
 古い図鑑を見ていると、チゴガニの足には鼓膜のようなものがあると書いてあります。さっそく、干潟に行って体を動かさないように手をたたいたり、大声を出したりしましたが、カニ達は全く聞こえてはいないかのように変わらずせっせと動いていました。確かにチゴガニの足をよく見てみるとそれらしきものがありますが、どうやら音を感じるようなものではないようです。
 最近の研究では、その部分に網状の血管が走っており、巣穴が水の下にある時に巣穴内で呼吸をするために使っているのではないかと考えている方もいます。
巣穴と入り口の蓋  チゴガニは潮が満ちてくる少し前や辺りが暗くなりはじめる前には、巣穴の入り口付近の泥をかき集めて巣穴にふたをしてしまい、外での活動をやめてしまいます。ふたは厚さが1cm程もあり、潮が満ちてきて巣穴が水の下にある場合でも、巣穴の中には水が入らないようになっています(写真5)。そんなとき、カニ達は巣穴の中で潮が引くまで動かないでじっとしています。
観察装置  では、どのようにして潮の満ち引きや辺りの明るさを事前に知る事ができるのでしょうか?私たちはそれらを調べるために、野外での観察のほかにも、人工的に自然を再現できるできるような装置を作り、光の周期や潮の満ち引きにさまざまな変化をつけて実験を行ってきました(写真6)。
 その結果、チゴガニの体の中には時間を知ることができる体内時計が存在し、それが働くことにより行動をみちびいてることが少しづつわかってくるようになりました。しかし、どのような体内時計を持っているのか、今後さらに調べていかなくてはなりません。こんな小さなカニですら、まだまだ分かっていないことがたくさんあります。
 干潟は海と陸との接点であるため、さまざまな生物が生活の場として利用してきました。しかし、近年大きな問題になっているように人間の開発により、どんどん干潟が消えています。私が観察に通っている干潟も大変小さく、開発の手が少しでも入れば、すぐにでもなくなったり、環境が変わってしまったりしそうです。そもそも干潟は川などの河口などには必ずと言っていいほど存在する、身近な場所だったはずです。私たちは次の世代のために、いつまでも小さなカニ達がのんびりとバンザーイができるような環境を残すべきではないでしょうか。


『海のはくぶつかん』Vol.27, No.4, p.4〜6 (所属・肩書は発行当時のもの)
  のぐち ふみたか:学芸文化室水族課

最終更新日:1997-08-15(金)
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