琵琶湖産アユを川に移す
琵琶湖には海から川に上がって来て大きくなるアユとは違うコアユと呼ばれるアユがいます。東京大学の石川千代松先生が、明治時代に、このアユを多摩川の羽村の堰より上流のアユが上れない地点に放す大実験をして、20cm以上の大アユになることを示して以来、琵琶湖のアユの稚魚を各地の川に放流する事業が活発になりました。
湖産アユと海産アユは遺伝的に違う
各地の川で産まれて、春に海から再び川にもどって来るアユを「海産アユ」、琵琶湖産を「湖産アユ」と一般に呼んでいます。私の研究室では、電気泳動法でMPIとGPI-Aという酵素を支配している遺伝子の変異を、各地の川に遡上するアユや琵琶湖産のアユで調べました。北から南までの各地の川のアユの間にはほとんど差がないのに、湖産アユはこれらとははっきり異なっていました。細胞のなかのミトコンドリアという顆粒に含まれているDNA(mtDNA)の型も、川のアユはどこのものでも互いに似ているのに、湖産はこれらとははっきり違っていました。
湖産のアユの子は川にはもどれない!
日本の主要な河川では、その河川に遡上するアユの10倍以上もの湖産アユが長い間、毎年移植されてきました。それにもかかわらず川のアユが湖産とこのように違うのはなぜでしょうか?この謎は信濃川での研究で解かれました。この川の河口には堰があり、遡上する海産アユは全てが捕獲されて上流に放されるので、正確な数が判ります。
アユの超合理的生活の弱さを補う戦略−海域での混合−
三陸海岸で、1984年2月下旬から2ヶ月ほど水温が3〜4℃、表面で0℃のところもある異常冷水塊が停滞しました。低水温で海のアユが絶滅してしまい、この地方のアユを放流していない小さい川には、この年からアユはいなくなりました。ところが、それから3〜4年するとこれらの川にも、アユが上ってきたのです。これは多分これより南の川で産まれたものが海を北上してこれらの川に上ってきたと思われます。
海のアユがこのように絶滅することはそうないでしょう。でも、異常渇水や増水が四季を通じて多くある日本各地の急流河川では、稚魚が上らないとか、育たない、産卵期に洪水があったり、あるいは昔からよく行われた毒流しなどが同じ年や、何年かに何回か重ねてあると、それらの河川のアユは絶滅してしまうでしょう。その時、一部の個体でも海に残っていれば、その系統は生き残れるでしょうが、季節によって生存上都合がいい一方の場所にだけにしか住まない、超合理的なアユは弱みももつことになります。多くの魚では違った年産まれのものや、同じ時期に別の住み場にいるものがあって、違った年級群や場所に危険を分散しています。もし、アユが産まれた川にしか帰らなければ、各地の川で起こる絶滅を防げないでしょう。アユはこの弱みを海を通じた混合、補給で補っているのです。アユは危険を他の河川に分散しているともいえます。日本各地の河川のアユが遺伝的に分化していないのは、海を通じた混合でよく説明できます。湖産アユでは、産卵期近くまで湖で過ごすものがあり、湖にも危険を分散しています。
リュウキュウアユは大切な戦略をもたない
一方、奄美大島のアユの遺伝子分析では、小さい島のなかの川の間でさえ混合がなく、この絶滅危惧種は海を通じた混合による生き残り戦略をもたないことが分かりました。またどの河川でも数少ない変異型しか含まれてないことから、繁殖群を構成している個体数が小さくなっていると考えられる危機的状態も遺伝学的に示されました。
『海のはくぶつかん』Vol.27, No.4, p.2〜3 (所属・肩書は発行当時のもの)