■『海のはくぶつかん』1997年7月号

アユの生活を遺伝子で追跡する その2

 沼知 健一

 前回、アユの生活を話しました。いよいよ、遺伝子で追跡する話ですが、その前にアユの話では欠かせない琵琶湖産のアユに触れておきます。

琵琶湖産アユを川に移す
琵琶湖には海から川に上がって来て大きくなるアユとは違うコアユと呼ばれるアユがいます。東京大学の石川千代松先生が、明治時代に、このアユを多摩川の羽村の堰より上流のアユが上れない地点に放す大実験をして、20cm以上の大アユになることを示して以来、琵琶湖のアユの稚魚を各地の川に放流する事業が活発になりました。

湖産アユと海産アユは遺伝的に違う
 各地の川で産まれて、春に海から再び川にもどって来るアユを「海産アユ」、琵琶湖産を「湖産アユ」と一般に呼んでいます。私の研究室では、電気泳動法でMPIとGPI-Aという酵素を支配している遺伝子の変異を、各地の川に遡上するアユや琵琶湖産のアユで調べました。北から南までの各地の川のアユの間にはほとんど差がないのに、湖産アユはこれらとははっきり異なっていました。細胞のなかのミトコンドリアという顆粒に含まれているDNA(mtDNA)の型も、川のアユはどこのものでも互いに似ているのに、湖産はこれらとははっきり違っていました。

湖産のアユの子は川にはもどれない!
 日本の主要な河川では、その河川に遡上するアユの10倍以上もの湖産アユが長い間、毎年移植されてきました。それにもかかわらず川のアユが湖産とこのように違うのはなぜでしょうか?この謎は信濃川での研究で解かれました。この川の河口には堰があり、遡上する海産アユは全てが捕獲されて上流に放されるので、正確な数が判ります。


 調査した1990年に信濃川に放流した湖産、人工種苗、海産アユは、図1のように65、30、5%の割合でした。湖産も海産もDNAの型は1型が共通して多いのですが湖産は、海産には少ない2〜5型が合計で50%以上も含まれているのが特徴です。これらの系統が、放流後よく混合すれば、図1の左から2番目の型組成になると計算できます。湖産は一般に成熟、産卵が早いというので、川口という場所の産卵場で9月14日、9月22日、10月13日に採集してDNAを調べました。すると、これらはどれも放流された3系統がよく混合した群とほぼ同じ型組成を示し、産卵期の早い時期から遅い時期までどの系統も特に早い、遅いなしに産卵に来ることが示されました。この産卵場のすぐ上流のヤナで9月27日と10月19日に捕ったアユは、それぞれ湖産と人工種苗が主体になった群に見えます。放流されたものは決して均一には混合してはいないのですが、成熟の時期がどの系統でも同じであったために産卵場ではDNAの型組成がどの時期にも3系統が良く混合した状態に一致していたと考えられます。このように考えると、次の年に上って来るアユは図1の左から2番目のDNAの型組成になるはずです。ところが、海から上ってくる海産アユの遺伝的組成は、毎年きまって図1の左下のような型組成なのです。mtDNAは父親に関係なく、母親の型が遺伝します。そこで、mtDNAの結果を正確にいえば湖産を母親にした子は川に帰らないことを示しています。
 酵素に関係している2つの遺伝子の分析でもこれとよく一致した結果が得られました。この結果は、湖産が雄親でも雌親でも湖産の血を引いたものは翌年川に帰らないことを示しています。我々は、信濃川で産まれたものは実は信濃川に帰るとは限らず、近隣の川で産まれたものも信濃川に帰ると後で考えるようになりました。しかし、近隣の川でもほぼ同じほどの湖産を放流しているので、湖産は川に放流しても、その血を引いたものは川には帰れないと強くいえる結果が得られたのです。湖産や海産の間に我々の結果を説明できるほどはっきりした生理、生態的違いはこれまで示されていません。湖産の血を引いたものが何故、何時除かれるのかはまだ判りません。

アユの超合理的生活の弱さを補う戦略−海域での混合−
 三陸海岸で、1984年2月下旬から2ヶ月ほど水温が3〜4℃、表面で0℃のところもある異常冷水塊が停滞しました。低水温で海のアユが絶滅してしまい、この地方のアユを放流していない小さい川には、この年からアユはいなくなりました。ところが、それから3〜4年するとこれらの川にも、アユが上ってきたのです。これは多分これより南の川で産まれたものが海を北上してこれらの川に上ってきたと思われます。
 海のアユがこのように絶滅することはそうないでしょう。でも、異常渇水や増水が四季を通じて多くある日本各地の急流河川では、稚魚が上らないとか、育たない、産卵期に洪水があったり、あるいは昔からよく行われた毒流しなどが同じ年や、何年かに何回か重ねてあると、それらの河川のアユは絶滅してしまうでしょう。その時、一部の個体でも海に残っていれば、その系統は生き残れるでしょうが、季節によって生存上都合がいい一方の場所にだけにしか住まない、超合理的なアユは弱みももつことになります。多くの魚では違った年産まれのものや、同じ時期に別の住み場にいるものがあって、違った年級群や場所に危険を分散しています。もし、アユが産まれた川にしか帰らなければ、各地の川で起こる絶滅を防げないでしょう。アユはこの弱みを海を通じた混合、補給で補っているのです。アユは危険を他の河川に分散しているともいえます。日本各地の河川のアユが遺伝的に分化していないのは、海を通じた混合でよく説明できます。湖産アユでは、産卵期近くまで湖で過ごすものがあり、湖にも危険を分散しています。

リュウキュウアユは大切な戦略をもたない
 一方、奄美大島のアユの遺伝子分析では、小さい島のなかの川の間でさえ混合がなく、この絶滅危惧種は海を通じた混合による生き残り戦略をもたないことが分かりました。またどの河川でも数少ない変異型しか含まれてないことから、繁殖群を構成している個体数が小さくなっていると考えられる危機的状態も遺伝学的に示されました。


『海のはくぶつかん』Vol.27, No.4, p.2〜3 (所属・肩書は発行当時のもの)
  ぬまち けんいち:東海大学海洋学部水産学科教授

最終更新日:1997-08-15(金)
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