■『海のはくぶつかん』1997年3月号

シロウオ

 秋山 信彦 

 みなさんは、シロウオという5cm程度の小さな魚を知っていますか。よく、シラウオとシロウオが混同されますが、シラウオはアユやシシャモなどの仲間にあたり、シロウオはハゼの仲間にあたります。両方とも食用として用いられていますが、踊り食いと称してその触感を楽しむのは、今回のテーマに取り上げたシロウオの方です。シロウオは生きているときには体が氷の様に透明で、内臓や骨までも透けて、体のほぼ中央部には大きな鰾が見えるのが特徴です(写真1)。しかし、死ぬと名前の通り全身真っ白に変化します。

遡上してきたシロウオ

 サケが川で生まれ、大海を回遊して生まれた川に戻ってきて卵を産むことは、みなさんも知っていることと思います。シロウオもサケと同じように川で生まれ、海で育ち、再び川で卵を産みます。この様な回遊をする魚を、特に遡河回遊魚と呼んでいます。サケは秋から冬にかけて卵を産みに川を遡りますが、シロウオは早春に川を遡ります。
 川では春から秋にかけて様々な魚たちが活気あふれる生活をしていますが、冬になると息を潜めてじっとしています。その年の一番最初に川が躍動し始めるのが、シロウオの遡上なのです。そのために、春を告げる魚として、テレビや新聞でも春先によく取り扱われます。シロウオは日本では北海道南部から鹿児島県までほぼ全国的に分布しています。よく、天気予報でさくら前線という言葉を聞くと思いますが、シロウオの遡上はそれよりも少し先に始まります。1月の中旬になると、宮崎、大分、高知、愛媛県の豊後水道に面する地域でシロウオの遡上が始まります。その後、シロウオの遡上前線は、日本を北上して行き、最後は5月上中旬に青森県の陸奥湾や北海道の函館湾で終わります。東海大学海洋学部がある静岡県でも2月中旬から4月下旬にかけて遡上が見られます。昔は由比のサクラエビに清水のシロウオと言われたほどの東海道の名物でした。今でもサクラエビの方は漁獲されていますが、シロウオは漁業として成り立たないほど少なくなってしまいました。
 シロウオが少なくなってしまった理由としては、シロウオにとっての環境があまりにも変化したことが考えられます。通常の生活圏である沿岸域の汚濁、産卵場となる河川中下流域の汚濁と河川改修による河川形態の著しい変化、河川の水量の減少などがあげられます。

 汚濁については近年工場排水、下水処理などを行政が進めているために、以前より良くなってきています。実際に、長崎県の若菜川と佐々川、大分県の番匠川では、戦後の高度成長期にできた炭鉱や工場の排水によって、河川の下流域が汚染されるとシロウオの遡上がなくなり、炭鉱の閉鎖や工場の排水規制によって、汚れた水が流されなくなると、再び遡上が見られるようになっています。
 シロウオにとって産卵場となる下流域の汚濁や河川形態の変化は致命的な物です。いくら水がきれいになっても産卵できる河床でなくてはならないのです。これは、シロウオの産卵行動に深く関係しています。
 シロウオは、海面と河川下流域の水温がほぼ同じになると、遡上を始めます。この温度は地域によって多少異なりますが、だいたい14℃です。遡上期の始めには性比が雄に偏り、遡上末期には反対に雌に偏ります。
 遡上した雄は、河川の平瀬で比較的流れの緩やかな場所を探し、河床の石の下に産卵室を作ります。もともとあまり泳ぎが上手でないシロウオですが、通常は水底から少し離れた場所を泳ぎ、決して着底することはありません。しかし、産卵場に来たシロウオは川底を掘るために着底します。慣れない行動をするのですから泳ぎの下手なシロウオは流れの速い場所では巣を作ることができません。しかし、川底の巣にはただでさえ酸素が補給されにくいために、巣の上にシルトやゴミなどが堆積してしまうような水では営巣中に死んでしまいます。つまり、下流域の流れの緩やかな場所でも、シルトやゴミの堆積しないようなきれいな水が流れている河川でないと彼らは産卵して、次世代を海に送り出すことができないのです。
 いずれにせよ、この様な場所を見つけた雄は拳大の石の脇を掘り始めます。次第に石の下へと穴を広げて行き、石の直下に奥行き5〜11cm、幅10〜13cmの産卵室を作ります。

巣の中で過ごす雄と雌 巣に入る前の雄(上)と雌(下) 巣で2週間過ごした雄(上)と雌(下)

 巣が完成すると雄は巣の入口から頭もしくは尾を出して振り、雌の気を引きます。産卵場に来ていた雌はすぐに雄の誘いを受けて巣穴に入ります。ヨシノボリ、チチブ、ウキゴリなど多くのハゼ科魚類の雌は卵巣卵が十分成熟して産卵可能になっていると雄の巣に入り、入るとすぐに産卵して出ていってしまいます。しかし、シロウオの雌は、巣に入ってから2〜3週間雄と過ごします(写真2)。巣にはいる前(写真3)と巣の中で2週間程過ごした雌(写真4)では卵巣が発達したためにまるで別の魚のように形が変わります。この間、雄は巣の入口を砂で塞ぎ、他の魚の進入を防ぎます。そのため巣の中の酸素は低くなり、通常の河川水では溶存酸素が7〜9ppmあるのに対し、巣の中では2.3〜4.2ppmの範囲で、最低では0.6ppmと、一般の魚では死んでしまうような環境でも生きています。このように産卵室の溶存酸素量が低くなってしまうために、雄は雌と過ごしている間中、巣の入口付近で水送り行動をしています。従って、この時期に上流からシルトや泥が流れてきて、巣の上に被さってしまうと、巣の中に新鮮な水が入りにくくなってしまい、低酸素条件に強いシロウオといえども死んでしまいます。

産卵を終えた雌 産卵行動をする雄と雌

 また、シロウオは河川を遡上し始めると、餌を全く食べなくなります。それでも卵巣卵は卵黄をどんどん蓄積していきます。この栄養素が、どこから来るかというと、シロウオの雌は自分の体のタンパクの殆どを卵黄に変換して、卵巣卵に蓄積します。たった1回の産卵のために、1年というあまりにも短い一生を通じて作ってきた自分の身を削って次世代に全てを託すのです。従って、産卵の終わった雌はやせ細ってしまいます(写真5)。
 このようにして番が巣の中で過ごしているうちに雄と雌は放精、産卵が可能となります。産卵は雌雄とも仰向けになり、並んで行います。そして巣の天井である石の下面にきれいに並べて卵を産みつけます(写真6)。雌は卵巣にあった成熟した卵全てを1〜2.5時間ほどかけて産みつけます。1匹の雌が産み出す卵の数は300〜500粒で、魚類としては決して多い数ではありません。産卵が終了すると雌は直ちに巣から出ていきます。多くの雌は全エネルギーを産卵に費やしてしまうので、死んでしまいますが、一部の雌は河口まで流されてそこでしばらく遊泳しています。この雌がその後死ぬのか、海で生き残るのかはまだはっきりしていませんが、現在のところ産卵を終えたシロウオは死んでしまうと考えられています。

卵の掃除をしている雄

 さて、産卵室に残った雄はというと、雌が去った後、直ちに雌が出ていった穴を砂で埋めます。そして、卵が孵化するまで卵を管理します。巣の入口付近での水送り行動はもちろんの事、卵の清掃や巣の壊れた部分の修復など沢山の仕事をしながら卵の孵化を待ちます(写真7)。
 卵は15〜20日で孵化が始まります。その頃になると、雄は孵化した仔魚が出ていけるように出口を開きます。孵化は夜の8時頃にピークを迎え、孵化した仔魚は直ちに巣から出て行きます。
 仔魚は河川を流下して海に旅立って行きます。子供たちは沿岸のアマモ場などで動物プランクトンを食べながら成長し、翌年の春に再び河口に現れます。
 しかし、海でのシロウオの生活についてはあまり良く分かっていません。私の研究室でも海での生活を明らかにするために、孵化したシロウオを飼育していますが、大変デリケートな魚で、網ですくったり、水を変えただけでも驚いて死んでしまうほど、飼育の難しい魚です。
 餌の栄養価を工夫したり、飼育に細心の注意を払って、ようやく飼育できた魚を用いて形態形成や卵巣卵の発達過程を調べていますが、驚いたことにシロウオは遡上時期の1ヶ月程前に体表面の構造が著しく変化することが解りました。海で生活しているときには、非常に薄かった表皮が遡上する直前までに10倍程度の厚さになり、さらにそれまで殆ど見られなかった粘液細胞が体表面のほぼ全域を覆うようになります。海で生活しているときには底層近くを遊泳していますが、産卵の時には小さな穴の中で生活しなくてはなりません。そのための形態変化だと考えられますが、詳しいメカニズムは、まだ良く解っていません。
 一方、巣に残された多くの雄は1回の繁殖行動の末、死んでしまいますが、遡上期の始めに営巣した雄は残る命を燃やし、余命幾ばくもない日々を子孫のために、再び巣に留まり別の雌を誘い込んで、繁殖行動をします。
 シロウオは以上のような繁殖行動をするために、川底の石の下で30〜40日も生活しなくてはなりません。この間に、大雨が降ったり、上流の工事現場からの土砂の流入、農繁期に畦からの泥やシルトの流入があると、巣の中で親も卵も死んでしまいます。また、産卵場にむやみに入ることによって、せっかく営巣していた巣が壊れてしまいます。もし、みなさんが早春にシロウオが遡上しているのを見つけたならば、産卵場はそっとしてあげて下さい。そうすれば減ってしまったシロウオも数が増すかも知れません。


『海のはくぶつかん』Vol.27, No.2, p.4〜6 (所属・肩書は発行当時のもの)
  あきやま のぶひこ:東海大学海洋学部講師

最終更新日:1997-04-03(木)
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