■『海のはくぶつかん』1996年7月号

特別展「潜水(ダイビング)の世界」

 岡 有作 

 ヒトは母親の胎内にいる間は子宮の羊水の中で育ちます。胎児の間は肺の中まで液体(肺液)が入っていてこの液体を通して呼吸しています。また生まれて間もない赤ん坊は水の中に入れられても、水中で眼をあけ、息を止め、犬掻きで泳ごうとします。この短い期間を過ぎてしまうと、大多数のヒトたちはわざわざ訓練をしないと水を怖がり、泳ぐことが出来なくなってしまいます。血液の成分を見てもヒトは体の中にも海を持っていると言えます。海の中に潜ることは人間にとってちょっと恐いけれど強く興味をひかれるものです。少し極端と思いますが、現在の身体からヒトは海に潜るサルから進化してきたという説もあります。
カービーモーガン式潜水具  この特別展は、あらたに今年から制定された7月20日の「海の日」にちなんで開催されます。
 潜水は、純粋に海中への興味から、食料を得るため、軍事目的から、チャレンジの目標として、手段として目的として古くから行われてきました。
 いまやスキューバ潜水はマリンスポーツの重要な要素となっていますが、その歴史や技術の進歩について詳しく知っている人は、スキューバ潜水を楽しんでいる人でもあまり多くないと思われます。人が直接海中に潜る潜水にはエアタンクを持って潜るスキューバ式のものだけでなく、空気を船上から供給してもらう送気式の方法もあります。通常の空気では大深度になると「窒素酔い」を起こし50メートル程が正常に潜れる限界です。高圧では酸素ですら悪い影響があらわれ、最近では新たなミックスガスの開発によってより深い水深まで潜水することが可能になりました。窒素酔いを防ぐために組成を変えた人工空気が工夫されています。窒素に変えてヘリウムを使い酸素の割合を減らしたものが使われています。更には身体に対して不活性な液体に酸素を溶かしたものを肺に満たし呼吸することが試みられています。この技術の延長として液体による呼吸で1000メートルに到達するのも夢ではなくなってきています。
 一方人間の限界への挑戦として呼吸器を使わない素潜りで、100メートルを大きく超え126メートルに達し更に挑戦が続けられています。
濁った海中でのメルメット潜水  人間は有史以前から食料を求めて海に潜っていました。近くも潜水は屈強な男性の仕事か、比較的浅い所で息を止める素潜りでアワビなどを採る海女さんの仕事でした。アラフラ海の真珠貝取りや地中海の海綿取りなどが有名ですが仕事は過酷だったようです。ところが1943年にフランスのクストーとガニヤンによってアクアラングが発明されると、その手軽さから急速に世界中に広まりました。その利便性に注目した海洋学者が調査の方法に取り入れ自ら海中に潜ったり、軽快に動けることからスポーツとしての潜水、新しい分野のレジャーとして発展してきました。更には、発明の初期にはやや重かった器材も改良が重ねられ、まったく新しいシステムが開発され体力のない人でも楽しめるスポーツへと進化しました。潜水の器材だけでなく周辺の、例えば水中で手軽に撮影できるカメラやビデオが開発・改良されました。それにつれて美しく不思議な海中の様子が伝えられるようになってきました。また黒一色だった潜水着も素材の開発で楽しい色使いが出来るようになりました。この事も海中世界へとひかれる人の増加に拍車をかける要素となっていると思われます。
 ヘルメット式潜水は今も港湾土木工事の海底作業やケーソン(潜函)工事で行われています。漁業でも、例えばホヤ漁やタイラギ漁で使われています。潜る人にとって上下の区別も付かないほどひどく濁った場所で作業したり、強い潮流に妨げられながらの作業もあります。その上に寒さと水圧の影響も強く受けます。いずれの場合も工事現場の囲いの中や、海の沖合といった場所で行われているため、一般の人たちにはほとんど目にする機会はありません。しかしながら潜水は私たちの生活に強く結びついた技術と言えます。それがメディアを通じて話題になるのは、潜水中の漁師さんがサメに襲われてなくなられるといった痛ましい事故の時がほとんどなのはとても残念なことです。
 特別展で展示が予定されているもののうち幾つかを簡単に紹介しましょう。
ボンベ ボンベ
 容量にもずいぶんと幅があります。材質も改良が進んで充填の耐圧が120気圧ほどだったものが今では200気圧も普通になっています。このほかにも日本にはじめて輸入されたもののうちの一本で外観も見慣れない形があります。
ヘルメット ヘルメット
 70年前のものと、もっとも最近日本で造られたもの。どちらも基本的に頭にかぶるということから形状に大きな変化はありません。
レギュレーター レギュレータ(空気調節機)
 外国から輸入された複管式(ダブルホース)のレギュレータを模して国産のものが造られるようになりました。その試作品となった1台。その後単管式(シングルホース)のレギュレータが開発され改良され現在のような形になっています。その変遷の様子も見ていただきます。

 今回の特別展は7月13日(土)〜9月1日(日)までの51日間にわたり海洋科学博物館の2階企画展示スペースで開催します。従来の特別展スペースの2倍ほどに広げてより盛りだくさんの内容になる予定です。展示は単に潜水具の歴史的なものの羅列ではなく潜水の科学、潜水中の人の生理学、安全のための医学についても解説します。
 特別展の中では、これから潜水を始めたい人にもわかりやすく、映像で潜水を紹介したり、ヘルメットをかぶってプロの気分を味わい、ヘリウムの混合ガスを吸った時のドナルドダックボイスの奇妙な声を聞き、海中世界の魅力も伝えたいと考えています。


『海のはくぶつかん』Vol.26, No.4, p.4〜5 (所属・肩書は発行当時のもの)
  おか ゆうさく:学芸文化室水族課

最終更新日:1996-10-12(土)
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     東海大学社会教育センター
        インターネット活用委員会