■『海のはくぶつかん』1996年1月号

ヒレナガヤッコの性変換

日置 勝三

 キンチャクダイ科タテジマヤッコ属魚類の繁殖習性や性変換の様子については、当館の水槽内で観察された3種について、すでに本誌(タテジマヤッコとトサヤッコはVol.9 No.6、ヤイトヤッコはVol.12 No.4)で説明しました。さらにほかの種類で観察を続けたところ、ヒレナガヤッコと外国産のベルスエンジェルの2種について知ることができました。今回は性変換の様子を実験的に何回も繰り返し、いろいろな角度から調べたヒレナガヤッコについてお話しします。
 ヒレナガヤッコは全長15cm程のたいへん美しい魚で、雄と雌で著しく体色斑紋が相違します(写真1A、G)。沖縄から台湾、オ−ストラリア沿岸のサンゴ礁で、1尾の雄が雌数尾を統率するハレムを形成して生活します。当館の水槽でも自然と同じように、雄1尾(A)と雌3尾(B、C、D)の組み合わせで飼育を開始したところ、1987年4月24日の夕刻に繁殖行動が観察され、産み出された卵も受精していて、発生することが確かめられました。
図1.性変換の経過 ×,取り上げ;d,死亡  ♀,性機能状態; ♀,行動上の雌雄;+,行動が出現した

 繁殖行動は以前にお話した3種とほとんど同様で、雄が3尾の雌に次々に求愛し、水面に向かって押し上げ産卵させるものでした(表紙参照)。産卵はそれ以降毎日続きました。このように雌雄全個体が性的に機能状態であることを確かめた上で、6月8日に雄を水槽内から取り出して、残った雌3尾の様子を観察し、その経過を図1に示しました。
  写真1.性変換にともなう体色斑紋の変化
 その当日に、雌3尾のうちの一番体長の大きなCの体色斑紋に変化が現われました。つまり、雌の特徴である尾鰭の縁の黒色が薄くなり、雄の特徴の白色に近くなったのです。2日後にはCは他の2尾の雌(B、D)に対して、雄としての求愛行動を示しました。3日後には雌Dが原因不明で死亡し、水槽内は雌BとCの2尾だけになりました。4日後には、Cの体側の腹部後方に薄い点状の黒斑が出現しました。これは雄に見られる縦縞です(写真1B)。7日後、頭部の黒色がやや薄くなり、体側の黒斑はそれぞれつながりはじめて、縦条に変化しつつあります(写真1C)。13日後にはCの求愛に雌Bが応え、相互に求愛が行われました。15日後、Cと雌Bの2尾での産卵が見られました。
 しかし、産出された卵を調べてみたところ、受精はしていませんでした。体側の縦縞はさらに明瞭になり、また尾鰭の付け根に黄色の斑紋があらわれます(写真1D)。25日後に産出卵の受精が初めて確認されました。Cは以前は雌として卵を産んでいたわけですが、雄の不在をきっかけに性を変え、25日後には雄として他の雌の産んだ卵に精子をかけ、受精させるに至ったのです。
 体色斑紋の変化も進み、細かい部分を除けばもう雄と言ってもさしつかえないものとなりました(写真1E)。29日後には縦縞もずいぶん明瞭になりました。しかし、完全な直線にはなっていません(写真1F)。完全な雄の体色になるには随分時間がかかり、それから約9ケ月後でした(写真1G)。
 同じような実験を別の個体で繰り返し行い、生殖腺の変化の状態を調べてみました。性変換実験開始2日後の個体の生殖腺を固定して、薄く(6ミクロン)輪切りにして顕微鏡で調べてみました。
写真2,3

 全体は卵巣構造でいろいろな発達段階の卵母細胞がぎっしり詰っています。2日前まで雌として卵を産んでいたことを示すかのように、熟した卵もたくさん認められました(写真2)。
 しかし、よく観察するとはじの方に雄の生殖細胞が出現しているのがわかります(写真3)。25日後に、初めて雄として機能した時点での生殖腺は、完全な精巣に変化していました。
 1尾の雄の不在と同時に性変換を開始し、素早くハレムを統率して、繁殖を続けていくには、完全な体色の完成に先んじて、短期間に雄としての機能を完成させる必要があるのかも知れません。
 それにしても、短期間に雌から雄に変わる様子を観察していると、魚の世界の不思議を感じます。


『海のはくぶつかん』Vol.26, No.1, p.4〜5 (所属・肩書は発行当時のもの)
  ひおき しょうぞう:学芸文化室水族課

最終更新日:1996-05-24(金)
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