■『海のはくぶつかん』1995年5月号

春の魚『マダイ』

日置 勝三 

 日本各地沿岸の海水の月平均温度が一番下がるのは2〜3月です。それでも3月の中旬以降多少ではありますが上昇傾向に転じます。また日照時間も次第にのびてきます。海にすむ生物はそんな少しの兆候を微妙に感じとります。寒い冬の間じっとしていた魚も活動を開始し、沖合を遊泳していた暖かさを好む魚は接岸を始めます。つまり産卵という大事業を春に行う魚種が比較的多いのです。
マダイ写真
 祝膳で欠かすことのできないマダイもそんな春の魚です。産卵のためにそれまで沖合のやや深みで寒さをこらえていたマダイは、春に沿岸の浅所に群れをなして集まってきます。日本沿岸での産卵は、3月中旬に南の九州沿岸から始まり、東京湾では5〜6月初旬です。産卵のため沿岸に寄るマダイのことを「サクラダイ、桜鯛」と称して珍重します。この頃は産卵のため栄養をたっぷりと蓄え、食べて一番おいしいときでもあるのです。
 産卵は夕刻に集団で行われます。ただし、海中での観察例はほとんどなく、以前は水面からの観察のみでした。昭和42年に鳴門の水族館で飼育していたマダイの産卵が、ガラス越しに初めて詳細に観察されました。当館でも開館の翌年の昭和46年から毎年3〜4月にかけて、海洋水槽に飼育されたマダイの産卵が観察されています。
 産卵期には、1尾の雌と5〜6尾の雄の集団が2〜3組できます。雄はこの時期、頭部から腹部が黒ずむのでわかります。正午過ぎからその1尾の雌を5〜6尾の雄が列を作って追い回し求愛します。集団の中の雄が互いに噛み合う激しい闘争も時々見られます。追い回しは産卵時刻の夕刻に近づくにつれ激しさを増します。産卵の直前には雄の先頭の個体が、雌の腹部に口先をこすりつけ水面へ押し上げていき、その後をゾロゾロと他の雄が続きます。この時のスピ−ドは速く、水深6メ−トルの水底から水面まで斜めに上昇するのに2秒とかかりません。水面付近に達した瞬間、雌の放卵に合わせて雄がほとんど同時に放精します。水面には水しぶきが上がるほど激しい行動です。1尾の雌の産む卵数はおよそ10万粒です。卵は球形透明で直径1ミリほど、一粒づつがバラバラに水に浮きます。
 マダイは比較的育成がし易く、現在では各地の栽培漁業センタ−あるいは養殖業者によって、およそ250万尾という大量の種苗生産がなされています。育てられた幼魚は養殖や放流事業に利用されています。放流事業とは、資源増殖を目的に国や県などが、ある程度の大きさまで人工的に育てた魚や貝類を海に放すことです。その追跡調査をするために一部の魚に標識を付けて放します。我々の採集や調査のホ−ムグランドの沼津市内浦沿岸でも潜水中に標識が付いたマダイを時々見ることがあります。
 性が変わる魚の話は、本誌でもいくつか紹介しましたが、実はマダイにも成熟する前に、雄と雌の両方の生殖腺を持つ個体が比較的多くあり、養殖されたものには特にこの傾向が強くなることが調べられています。また台湾産のマダイでは、雌から雄に性が変わる雌性先熟の雌雄同体現象も知られています。マダイを食べるときに、このような話をまた思い出して下さい。


『海のはくぶつかん』Vol.25, No.3, p.6 (所属・肩書は発行当時のもの)
  ひおき しょうぞう:学芸文化室水族課

最終更新日:1996-05-24(金)
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