■『海のはくぶつかん』1995年3月号

ゴンベが産卵(たね)撒(ま)いた その1

田中 洋一 

 当館では開館以来、海水魚の産卵について観察を続けており、得られた結果については学会等に発表するほか、本誌でも紹介してきました。そこで今回は、ゴンベ科魚類のオキゴンベの産卵についてご紹介しましょう。
 ところで、魚について詳しい諸氏は兎も角も、一般の人には「ゴンベ」がどんな魚か見当もつかないのではないかと思われますので、産卵についてご説明する前に、少しだけゴンベについて紹介しておきます。
 ゴンベ科魚類は、以前は「ゴンベイ」とも呼ばれていて、漢字では「権兵衛」と表していたようです。名前の由来を理解するためには、時代は随分古くまで遡りますが、江戸時代から大正時代頃までの幼児に流行した髪型を「権兵衛」と言ったそうで、この髪型は、後頭部の中央付近まで髪の毛を剃り、中ほどの一部に残った髪を束ねたものです。読者諸氏の中には記憶している方もあると思われますが、昭和40年代後半頃に、マンガや映画で人気のあった「子連れ狼」の拝一刀の息子、大五郎のあの髪型と言えばお解りでしょう。
 で、この髪型と魚のゴンベイがどう関係あるのかというと、本州沿岸に生息するオキゴンベやウイゴンベの背鰭の中程のスジ(軟条)が、長く延びている様子が髪型の「権兵衛」に似ているから、ということだそうです。だとすれば、和名としては「ゴンベ」ではなく、以前の様に「ゴンベイ」とした方が適切であるようにも思えます。
 ゴンベ科魚類の多くは、インド・西部太平洋を中心とする熱帯サンゴ礁域を主な分布域としています。しかし、オキゴンベはゴンベ科の中では、ウイゴンベやミナミゴンベとともに、温帯域に適応した数少ない種類で、わが国では相模湾以南の本州沿岸の岩礁域で見かけることができますが、生息数は余り多くないようです。ここ駿河湾でも水深10数m〜20m前後にあるウミトサカの枝上やその周辺で、単独あるいは雌雄と思われる2尾でいることが多く、一カ所で多数を見かけることはありません。前置きが長くなりましたが、当館で観察されたオキゴンベの産卵の様子と卵、仔魚についての話を進めましょう。
 産卵を行ったオキゴンベの親魚は、駿河湾で採集した雌と雄の各一尾で、これらは搬入した後、当館の入口にある円柱水槽で他のサンゴ礁魚類と同居飼育されていましたが、ある日の夕刻、2尾の間でそれまでとは違った行動が見られました。この行動とは、2尾のうちの大きい方の個体が、小さな個体の後を追うようについていくもので、追尾行動と呼ばれる求愛行動の一つです。したがって詳しい観察をしようと、この2尾を研究室に設置した容量約130l(縦40cm、横80cm、深さ45cm)ほどの実験水槽に移し入れて、観察を続けました。
 その結果、実験水槽に移動してから数日後の日没近くに、雄と思われる大きな個体が、水槽底で雌と思われるもう一尾を追尾した後、2尾そろって急速に水面まで泳ぎ上がり、水面を滑走するように30cmほど移動するといった行動を、何度か繰り返すのが観察されました。しかし、この時点では産卵は行われず、また、その後数日間も同じ時刻に同じ行動が観察されたものの、結局産卵は行われませんでした。観察されたこれらの行動は、明かに産卵前行動と見なされましたので、産卵に至らない原因を考えてみました。
 そして当館におけるこれまでの観察から、浮性卵を産む殆どの魚が、産卵直前には、50〜60cm、あるいは1m〜数m上昇した後に産卵を行っている点に着目し、今回の水槽は水深が浅すぎるものと考えられました。そこで、2尾を再び容量約2000lで、深さ70cmの大型水槽に移動して観察を続けたところ、ついに最初の産卵が行われ、しかもその1ヶ月後からは、観察を行った約3ヶ月半の間、ほぼ毎日、いずれも日没から約一時間後の、17時40分〜19時04分の間に産卵が行われました。
オキゴンベの卵
A:2細胞期、受精30分後
B:胚胎形成、7時間後
C:4筋節期、8時間30分後
D:20筋節期、14時間15分後
E:30筋節期、孵化直前、18時間15分後
オキゴンベの仔魚

F:孵化直後、全長2.28mm
G:6時間後、全長2.38mm
H:12時間後、全長2.80mm
I:24時間後、全長2.91mm
J:2日後、全長2.93mm
K:3日後、2.93mm
L:4日後、全長3.17mm
 受精卵は卵径0.75〜0.78mmの、無色透明の球形分離浮性卵で、卵黄内には径が約0.11mmの油球1個があります。卵は飼育水温26.2〜28.4℃で、受精してから19〜 22.5時間後に孵化が観察され、その後3時間30分以内に全ての孵化を終了しました。孵化直後の仔魚は全長2.23〜2.28mmで、大きな長卵形の卵黄を持っていて、その先端は頭部よりも前方に突き出ています。
 また、卵黄の先端には径0.11mmの油球1個が存在するほか、頭部および体の背側には9個ほどの黒色素胞があります。この時点では口も肛門も開いてはおらず、眼にも黒色素胞が出現していないなど、仔魚は全体に未発達な状態にあります。
 しかし、孵化2日後には口も開き、胸鰭も出現し、孵化3日後には、肛門が開くほか、眼も黒化して機能的になるなど、魚らしい体型となりました。
 本種の仔魚は繰り返して飼育を試みましたが、最長10日までの飼育に終わりました。しかし、ゴンベ科魚類の卵や仔魚に関する情報は、この時点まで全く知られておらず、貴重な資料を得ることができました。また、その後当館では、本種以外の10種のゴンベ科魚類について同様の観察ができましたので、いずれ機会をみて紹介したいと思います。
 なお、詳しくは Yoichi Tanaka and Katsumi Suzuki(1991):Spawning Eggs and Larvae of the Hawkfish,Cirrhitichthys aureus in an Aquari-um. Japan.J.Ichthyol.,38(3),283-288.をご覧下さい。


『海のはくぶつかん』Vol.25, No.2, p.2〜3 (所属・肩書は発行当時のもの)
  たなか よういち:学芸文化室水族課

最終更新日:1996-08-18(日)
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