■『海のはくぶつかん』1994年11月号

マングローブ域と生き物たち

澤本 彰三 

 今年は例年になく暑く、夜になっても気温が下がりませんでした。これは、2000kmほど離れた西表島の暑さに似ています。そこで、この島の植物と動物を紹介することにしましょう。
 テレビの番組や新聞などで、沖縄本島や西表島の生き物を知る機会が増えました。自然を大切にしたり自然に対する興味が増えたためでしょう。地図でみると、九州から台湾に向かって島が点々と連なっています。これが琉球列島で、西表島は台湾の近く、沖縄本島はこの列島の中間あたりにあります。世界の陸上生物の分布を調べると、動物は大きく六区域に、植物は四区域に分けられます。この動植物の分布の境界域が日本、しかもこの琉球列島にあるので、沖縄本島や西表島には本土にはみられない生物がたくさん住んでいるのです。例えば、動物ではハブ、キノボリトカゲ、オオコウモリ、イワサキクサゼミ(日本一小さいセミ)、植物ではアダン、ガジュマル、それからさまざまな種類から構成されるマングローブ。
 マングローブとは、熱帯や亜熱帯の河口域(汽水域)などに見られ、さまざまな植物の集まり(群落)をさす場合と植物の種類をさす場合があります。この群落を構成する種類は、日本ではおよそ17種、世界ではおよそ85種になります。このうち、独特の形をしたタネを持つ種を含む次の6種をマングローブと呼ぶことが多いようです。ヒルギ科のヤエヤマヒルギ(オオバヒルギ)、オヒルギ、メヒルギ、クマツヅラ科のヒルギダマシ、マヤプシキ科(ハマザクロ科)のマヤプシキ、シクンシ科のヒルギモドキです。これらのうち、九州(鹿児島県喜入町)ではメヒルギだけしか見られませんが、南に向かうにつれて種類数が増え、沖縄本島に4種、石垣島に5種、西表島には6種が生育します。なお、静岡県下田市に近い青野川河口域には移植されたメヒルギが生えています。日本では、分布域が北限に近いために、大きくなっても10mほどの高さにしかなりませんが、東南アジア諸国では30mの高さになる種類があるそうです。
ヤエヤマヒルギ写真写真1

 ヤエヤマヒルギの枝は、海水にひたる部分よりも上から出るようです(写真1)。マングローブにはさまざまな工夫(適応)があります。根は海水から水分をとり土からでた部分で呼吸を行い、葉は厚く水分を逃がさないようになっています。花が咲いて実をつけるのですが、ヒルギ科の3種ではこの実(写真2a)から根のようなもの(写真2b)が伸びてきます。
ヒルギ科植物の種子写真2a/写真2b

これがタネ(胎生種子)で、緑色に黄色が加わるころに木から離れ、泥に刺さったり泥の上に流れ着いたりして根を張り、やがて芽が伸びてきます。花が咲くまでに数年かかるようです。
 マングローブが見られる場所は、満潮時には海水にひたり干潮時には大気にさらされます。また、海、川、陸の接するところにあたり、風や流れがおだやかで木陰をつくるなどから、陸上にも水中にも泥のなかにもさまざまな生き物が住んでいます。葉や芽などを食べる甲虫、花の蜜を吸うチョウやガ、タネに卵をうむガ、枝の間に巣を張るクモ、枯れ枝などに住むアリ、木にのぼるカニや巻貝、水を嫌うトビハゼ、泥を盛り上げて塚をつくるオキナワアナジャコ、潮の引いた後の干潟に出てくるシオマネキやコメツキガニ、泥のなかに住む大きなシジミガイやノコギリガザミなどです。目に見える大きさの生き物だけではありません。泥の中にも水の中にも小さな生き物がたくさん住んでいます。水の中の生き物は、満ち潮といっしょに海からやってきます。魚や動物プランクトンです。時には、ウミガメやイカの子どもが入ってくることもあります。
 なかには、引き潮が始まる少し前に現れて、引潮時に海へ出ていこうとする種類もいます。マングローブ域に住む生き物の幼生は、5月から10月頃に、半月ごとに現れるようです。本誌Vol.18, No.4 に、オカガニの幼生が新月と満月の夜間(大潮の夜)にみられることを書きました。このほかにもカニ類(写真3)、エビ類、オカヤドカリ類、オキナワアナジャコ(いずれも甲殻類)の幼生が現れます。
カニ類の幼生写真3

 これらの幼生たちが無事に海へ行けるかどうか心配になりませんか?
 魚を採集し、食べ物を調べれば少しは分かるかもしれません。そこで、小さなマングローブ域で魚の調査をしました。たくさんとれた種類は、ツムギハゼ、コモチサヨリ(写真4)、ツムギハゼ、コボラそれにアマミイシモチでした。これらの魚類は小潮の頃には各種が別々のものを、大潮の頃には同じ物(この時期に現れる甲殻類の幼生)を食べていたのです。それでも、幼生の一部は海へでて大きくなり、親と同じ生活を始める頃、マングローブ域へ戻ります。
コモチサヨリ写真4

 海では、植物を動物が食べ、その動物を大きな動物が食べるというつながり(食物連鎖)があります。動物の食べ残しやフンは細菌類に分解され、やがては植物に利用されます。このつながりは植物プランクトンや海藻類が増えるところから始まります。ところが、マングローブ域にはこのような植物が少なく、マングローブの落ち葉から始まると考えられています。この場所に住むさまざまな生き物がこの落ち葉を食べ、菌類がさらに分解すると考えられているのです。オヒルギのタネは、第二次世界大戦の時には食用にされ多くの命を救ったこともあったそうです。今では、この場所からノコギリガザミなどを食料として、枝などを燃料や紙の原料として利用しています。エビ類の養殖のために切り倒されることもあるようです。
 少し前まで、マングローブ域は泥が深く、風土病を運ぶ蚊などが住むだけで、何の役にも立たない場所と考えられていました。ごみ捨て場になったこともあるようです。調査が進むにつれて、魚が育つ場所や栄養分を海へ供給する場所と考えられるようになりました。地球の温暖化に関係のある二酸化炭素を減らしたり、潮風から陸地を守る役目もあります。
 魚の調査を行った場所では、海水面が30cmほど高くなっただけでマングローブは大潮の干潮時以外は海水にひたることになりそうです。この状態が長く続くと根が呼吸できなくなり枯れてしまうでしょう。マングローブ域は、海水面の変化(海水準の変化)を受けやすい場所に広がっているのです。
 日本のマングローブ域の調査研究が、東南アジア諸国の援助にもつながることを願っています。



『海のはくぶつかん』Vol.24, No.6, p.4〜5 (所属・肩書は発行当時のもの)
  さわもと しょうぞう:東海大学海洋研究所助教授

最終更新日:1996-09-05(金)
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