■『海のはくぶつかん』1994年7月号

八丁櫓の鰹釣漁船

 岡 有作 

 本号の表紙写真をご覧ください。この和船の模型は、以前本誌で紹介した戸田号を作られた杉村宗作さんが制作して寄贈されました。
 模型のモデルとなった船は、明治38年頃に機関が導入されるまで静岡県下で使われていた船で、小早舟とも呼ばれていました。八丁の櫓と三枚の帆を備え人と風を動力とした一本釣りの漁船です。20人ほどが乗組んで清水や焼津からカツオや小型のマグロを追って遠くは遠州灘や伊豆七島にまで出かけていきました。
 駿河湾は口を太平洋へ向けて大きく開いており外洋の大きな波浪が直接奥にまで入ってきます。今の時代から見れば頼りない力で外洋に乗り出して行ったのです。泳ぎの早い魚群を追い、捕れた獲物を急いで運ぶ必要もありました。
 これらの厳しい条件から、波に強く軽く早い船が要求されたのです。この後は重い機関を積んで構造が、船足が速くなって船形が変わっていきました。
図
 この模型は和船建造の技術を正確に再現し保存する目的に作られたものです。技術を省略せずに再現できる縮尺として1/10を採用しています。船舶は一般に実用のものとして造られ役目が終わると廃棄されるのが普通です。和船建造では図面などもごく簡単なものを描くだけで、多くの場合その図面すら作りませんでした。建造技術は口伝えで継承され、受け継ぐ人がいなくなると舟が残らない限り消滅してしまうのです。例えば、日本沿岸の海運に大いに働いた千石船は一隻たりとも残っていません。そしてその細部の構造については判らなくなってしまった部分もあります。
 この模型で復元されている建造技術のうち特に重要ないくつかを挙げて見ましょう。「顎の接ぎ」は、船首を下が狭く上が広がった形にして波切りの性能を良くするために接いである三角の板です。「こべり」は両舷に取り付けられ船体の縁取りをする部材です。断面をL字型にして船首側を次第に太くしてあるのが正式です。二材でL型にしたのでは必要な強度が得られず、腐りやすくもなります。「上棚」の板は杉を使い、 2枚の板を船体の中央付近で斜めに接いでいます。そして根元付近の木目の詰んだ箇所を船首と船尾の強度の必要なところに当るように木取りをします。「船釘」はその太さや打ち込む間隔が決まっていますがきちんと再現されています。そして性能には直接は関係ありませんが船首材のデザインにも舟大工の技が競われました。先端部が黒く塗られ「黒水押」と呼ばれ、この地方の漁船の特徴ともなっていました。
 現在でも各地に和船の模型が残されていますが、神社などへの奉納や装飾が目的で作られており、その多くは、実際の和船を建造する上で重要な技術や構造でさえも省略されています。この模型は現在、当館2階マリンサイエンスホールの特展コーナーに展示されています。


『海のはくぶつかん』Vol.24, No.4, p.6 (所属・肩書は発行当時のもの)
  おか ゆうさく:学芸文化室博物課

最終更新日:1996-10-12(土)
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