■『海のはくぶつかん』1994年3月号

海からの伝言
−漂着物−

岡 有作 

 羽衣伝説で有名な羽衣の松は三保の松原にあります。三保のある清水市はサッカー王国静岡の中でも更に中心的な町です。今回はサッカーの話をしようというのではないのですが、この写真を見て下さい。三保は半島になっていてその先端の海水浴場の砂浜で見つけたサッカーボールです。さすがに清水では海でもサッカーの練習をしている、はずがないですね。打上げられた物です。


SOUTH AFRICAと刻印がある


人工衛星から撮影。大雨の直後、黒潮は岸に接近している
写真:東海大学情報技術センター

 清水は国際的な貿易と遠洋漁業の港、南アフリカのコーラの空き缶が打上げられていました。オーストラリア産の缶ビールが流れていたこともありました。でもコーラやビールの缶は、多分外国から入港して来る船の乗組員が海に捨てたのでしょう。同じような理由で、国際保護動物で南半球にしかいないはずのワタリアホウドリが布袋に入って海岸に打上げられていた事もありました。
 海岸を散策してみましょう。海岸に流れ寄り、打上げられた物はどこから来たのでしょう。日本列島の周囲を流れる海流が、流れの途中にある島々から物を運んで来ます。沿岸に近づくと、日本海側には主に季節風でハングルや中国の文字が印刷された物が吹き寄せられて来ます。太平洋側では台風の接近・上陸に伴う大雨と強風が海岸へ漂着をもたらすことが多く、季節風の西・北風の季節には沖合へ吹き飛ばされてしまいます。
 駿河湾の外側には黒潮が流れています。湾内へはそれから枝分かれした分流が入り込み、反時計回りの渦を作っています。
 三保半島のように海へ突き出した砂嘴地形は、海を流れる物にとってちょうどトラップの働きをします。砂や砂利だけでなく、流されていた物も波の力で打ち上げられ、堆積して半島の地形を形成して行きます。


高潮線にゴミの筋(三保真崎)


アカボウクジラ(羽衣の松近く)


 満ち潮の時に打上げられて高潮線に一列のゴミの筋ができています。かつて海岸に打上げられる物は、大きな木は家の材料に、燃える物は燃料、新鮮な魚や海藻ならば食べたり、肥料にした物もありました。海辺に住む人にとって漂着物は生活に結びついた物でした。
 以前、西伊豆で網に掛かった珍種のイルカをそうとは知らずに捨てられてしまい、沼津の水族館が、きっと三保半島に打上げられるだろうと探しに来たことがあります。予想にたがわず見事に見つけて標本にしたそうです。
 上の写真は鯨としては小型のアカボウクジラです。昔ごく希に打上げられる鯨は「寄り鯨」と呼ばれ、まとまって手に入る貴重な蛋白源でした。


 これは今まで私が見た内で一番大きな漂着物の写真です。この貨物船は、台風の接近で港の外へ避難しようとして間に合わず強風と高波で沼津の海岸に打ち上げられてしまいました
 こちらは操船を誤った貨物船が沈没した時の写真です。積荷の材木が流れだし、折からの北東の風に流されて三保半島の海岸に打上げられた物です。船の沈没した場所の直ぐ近くなので広がらずにかたまっています。



 上の2枚の写真は漂着物の自然観察会の様子と、そこで短時間に集められた物です。プラスチック製品は作られた目的通りほとんど腐らず、打上げられてからも海岸にいつまでも残ります。ビニール袋などに覆われたその下は、酸欠状態になって腐敗臭が漂います。

 海底火山の噴火のニュースが伝えられて数日たつと、海岸に軽石の打上げがしばらく続きます。最近では建築にたくさん使われるようになった発泡コンクリートのかけらが天然の軽石と同じように見つかります。

 近頃、波打ち際を散策しながら漂着物を観察し海を楽しむ事が、ビーチコーミングとしゃれて名づけられ静かなブームになってきました。
 特に長い間海を漂って来た流木は、波に洗われ岩に擦れて独特の雰囲気を醸し出しています。これをそのまま拾い集め、加工してオブジェにしたり、庭やインテリアにデザインする人もいます。
 毎朝海岸を歩きながら集めた魚類について、卒業研究としてまとめた学生さんもいました。深海魚と言われるグループに属す、貴重な標本も含まれていて、波打ち際から急に深くなる駿河湾ならではの研究です。新鮮な魚は、カモメやトビにとってもご馳走でどちらが先に見つけるか早起きの競争でもあります。
 深海から、遠くから運ばれて来る漂着物を手にとって異国の地へ、その旅路へ思いをはせるのも、楽しい時間の過ごし方かも知れません。仕事でも遊びでも海岸に出る機会が多いのですが波打ち際に打上げられた物を見たときに、いろいろな気持ちが湧いてきます。珍しい深海魚、遠くから長い距離を流されて来たことが察せられるヤシの実や、エボシガイがついた軽石を見つけたときには、宝物を見付けたうれしさ、長い距離を移動する旅人に出会ったようなうらやましさを感じます。一方で地曳網の後に、不要の魚があたり一面銀色になるほど打上げられているのを見ると怒りと悲しさの混じったいやな気持ちになります。

 三保をはじめ日本の各地にある羽衣の伝説は、その昔の異邦人の漂着を伝えているとも言われています。その時には言葉や技術、さらには文化までも流れ付いていたのかも知れません。


『海のはくぶつかん』Vol.24, No.2, p.4〜6 (所属・肩書は発行当時のもの)
  おか ゆうさく:学芸文化室博物課

最終更新日:1996-11-05(火)
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