■『海のはくぶつかん』1993年11月号

伊豆大島のコククジラ騒動

 森 恭一 

 今年の4〜5月、国際捕鯨委員会(IWC)の年次会合が京都で開かれました。この会合は、鯨類の資源の保全を図ることを目的として開催されるもので、総会の日本での開催は25年ぶりということでした。私は、ザトウクジラの回遊生態を博士論文のテーマとしている関係から、今回の会議で開催された南半球産ザトウクジラの分科会に興味を持ち、科学委員会の議長に許可をいただいて、開催国の地元研究者として分科会に出席しました。ある朝、会議場へと向かうバスに乗り合わせた顔見知りの研究者が、伊豆大島にコククジラが出現したというニュースがテレビで放映されていたことを教えてくれました。会議には多くのクジラ研究者が出席していたこともあり、このニュースは会議の合間に何度も話題に上がりました。
 この大島に現れたコククジラが、今回のお話の主役です。コククジラは、日本ではあまりなじみのないクジラですが、数年前アラスカで氷に閉じ込められ、アメリカとソ連(当時)が協同救出作戦を展開したクジラだというと、記憶に残っている方もいるかも知れません。このクジラは、体長が13〜14mになります。体色は、ほぼ全身灰色ですが、体表には傷跡やフジツボ等の付着生物が多いためまだら状に見えます。主に浅海の泥の中の小さな生物を濾して食べています。現世では、北太平洋にのみ生息し、2つのグループがあるといわれています。


大島沖を遊泳するコククジラ(撮影:望月昭伸)

 ひとつは、北アメリカ大陸の西海岸に沿って回遊するグループで、現在ではホエールウオッチングの対象種のひとつとして、この海域ではよく知られています。もう一方は、アジア側の沿岸を回遊していますが、現在その数は少なく、100〜200頭程度ではないかともいわれています。日本の太平洋岸で確認されているコククジラは、ここ40年ほどの間で僅か5例にすぎないとのことで、この大島での出現は相当稀なものといえます。
 さて、分科会が終了し、4月30日に清水に戻った私は、このコククジラの詳細な情報を得るために、大島の町役場に電話で問い合わせました。役場の方の話では、コククジラは4月はじめごろから大島の岡田港付近の海域に姿を現し、つい数日前にご自身も見たとのことです。
 こうなると元来のクジラ好きの虫がうずき、コククジラをこの目で見てみたくなりました。すぐにも出発しようかと思ったのですが、天候が思わしくなかったことから、天候の回復が予想された5月3〜4日に大島に行くことを決めました。
 翌日、クジラの情報をさらに集めるため、以前お世話になった大島のダイビングサービスのオーナーに連絡をとりました。ところが、毎日のように見られていたコククジラは、ここ2・3日発見がないとの返答。以前から交友のある水中カメラマンも現地入りしているとの情報を得たので連絡をとりましたが、やはりここ2・3日発見がないとのことでした。ひと足違いでコククジラは去ってしまったのでしょうか。私は期待と不安が入り交じる中、大島へ向かいました。


尾ビレを見せるコククジラ(撮影:望月昭伸)
     1993年4月28日、伊豆大島岡田港沖

 熱海発の東海汽船「かとれあ丸」は、通常だと大島の元町港に着岸するのですが、元町港の海況が悪いことから到着地が岡田港に変更になりました。岡田港周辺の海域にはコククジラが頻繁に出現したと聞いていたことから、船上からクジラを探すまたとない機会と思い、甲板を右往左往しながら、ときには双眼鏡も使ってクジラを探しました。しかし、残念ながらコククジラを発見することはできませんでした。
 到着後、さっそくバイクを借り、地図と双眼鏡を背に岡田港、野田浜、風早崎など事前情報で得た出現場所を中心に、見晴らしのきく場所で海面に目を凝らし、クジラを探しました。しかし、ここでもクジラを発見することはできませんでした。
 岡田港では、付近にいた漁師とおぼしき人にクジラの情報を聞いて回りましたが、一様に岡田港のすぐ沖を指さして「そこらにおったけど、ここんとこ見ないな。来るのが遅いよ。」といわれる始末です。
 その夜、前述のダイビングサービスに行き、コククジラに関わる情報を詳しく教えてもらいました。また、店に居合わせた漁師さんからも話を聞くことができました。
 翌日も同様にクジラを探しましたが、ついぞその姿を見ることはできませんでした。

 以下に、聞き取りで得た今回のコククジラの情報を整理しておきます。
 出現場所の情報の中には、クジラというだけでコククジラをさすかものかどうか確認がとれないものもありましたが、大島の沿岸に大型のクジラがそう頻繁に出現することもないと思われるので、同時期の大型クジラの出現情報は一括してコククジラのものとして扱いました。

 種類:コククジラ Eschrichtius robustus (形態・体色・潜水行動から確認)
 頭数:3頭(2頭という説も多かったが、噴気が同時に3つ確認されている)
 体長:約10m、約8m、不明が1頭
 出現場所:主に岡田港の沿岸海域、その他に秋の浜・野田浜・元町港・波浮港の沿岸でも目撃された
 初認日:4月初旬(前述のダイビングサービスのオーナーのメモでは4月10日)
 終認日:4月29日(5月4日に野増の大野浜でクジラを見たという情報もあったが、未確認)


コククジラの出現場所

 今回は、地元の人達、水中カメラマン、テレビクルー、そしてダイバーなどかなりの人が、このコククジラを見たそうです。中にはクジラに触ったダイバーまでいるらしいとのことでした。
 島を離れる前に、再度岡田港の桟橋に立ち、クジラがよく出現したという辺りをあらためて眺めると、富士山がその雄姿を見せていました。富士山をバックにコククジラが悠然と泳ぐ姿を見てみたかったと思いながら、私は大島を後にしました


『海のはくぶつかん』Vol.23, No.6, p.2〜3 (所属・肩書は発行当時のもの)
  もり きょういち:東海大学海洋学部研究生

最終更新日:1996-12-08(日)
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