■『海のはくぶつかん』1993年5月号

駿河湾と相模湾で調べられたイラの生態

日置 勝三 

 イラはスズキ目ベラ科に属する魚です。ベラ科は、日本だけでも126種が知られている、たいへん種類の多いグループです。その大部分は体長が10〜20cmほどの小型の魚なのですが、なかには、近ごろ各地の水族館でよく見かけるナポレオンフィッシュことメガネモチノウオのように1.5mにもなる種もいます。イラは体長45cmほどになるので、ベラ科のなかでは比較的大型の種といえます。

 イラは、南日本沿岸の水深約15〜30mの海底付近で生活しています。全体に赤味がかったピンク色で、背鰭のちょうどまん中くらいから胸鰭の付け根にかけた体側に、斜めにはしる一本の幅広い黒と白の帯があるのが特徴です。これが、ちょうどお寺のお坊さんが掛ける「袈裟」に似ていることから、伊豆では「ケサカケ」、「ボウズ」等と呼ばれています。定置網や一本釣りで漁獲されますが、量も多くなく、それほど味もよくないためか魚屋さんの店先で見かけることはあまりありません。しかし、体色が美しく愛敬のある姿形をしているため、水族館では人気のある魚です。当館では、過去に駿河湾と相模湾でイラの生態を調査しました。ここでは、その結果をいくつかをご紹介しましょう。

■性変換

 5年間にわたり112尾の標本を集め、それらを解剖して生殖腺を調べた結果、体長の小さい個体がメス、大きい個体がオスであることが分かりました。また、後で述べる水槽内での繁殖行動の観察からもオスが大きくメスが小さいという結果が得られました。ただし、標本の解析からは体長20〜38cmの間でメスもオスも見られることが分かります(図1)。この事から、ベラ科の多くの種で知られているように、メスからオスに性が変わる雌性先熟の雌雄同体現象がイラでも考えられました。
△採集したイラの体長組成 小さい個体ではメスが多く、大きい個体ではオスが多い。

 イラは、大きな個体になると頭部の張り出しが顕著となり、ま横から見ると頭部が四角に見えます。これがオスの特徴であるかどうか調べるため、全標本の写真を撮り、下の写真のように上顎の先端部、胸鰭の付け根、背鰭の先端部を結ぶように方形を作り、そのなかに占める頭部の面積をプラニメーターという機械で調べてみました。
△このようにして頭部の張り出し具合いを調べる
 すると、やはり体長が大きいほど頭部の張り出しが大きくなる傾向があることが分かりました。しかし、雌雄別で調べてみると、頭部の張り出したメスや張り出しの小さいオスも見られ、必ずしもオスの特徴とはいえないということも分かりました。

■繁殖期

 標本112尾の生殖腺の重量を計り、計算をした値を月別にまとめてみました。オスは、季節による変化があまりありませんが、メスでは夏から秋にかけて大きな変動が見られます(図2)。
△体重に対する生殖腺重量の割合を計算し、季節的な変化を調べる。
 この図から、駿河湾と相模湾での繁殖期は高水温期の6〜9月の間であると考えられました。

■繁殖行動と卵・仔魚

 海中での生態調査では、繁殖行動を観察することはできませんでしたが、当館の海洋水槽で飼育していたイラが産卵し、その様子を観察することができました。
 産卵は、5〜7月の日没前後(5〜9時)にほぼ毎日観察されました。産卵の2〜3時間前になるとオスの行動が活発になります。早い速度で泳ぎながら、水槽の中層付近でほとんど静止しているメスに近づいて求愛行動を示します。やがて、オスはメスの腹部に吻端を接触させて、外側から内側へ押すようにして螺旋状に2〜3回転しながら上昇します。この行動は比較的ゆっくりとした速度で、水槽中層から水面までの3mの距離を約3秒かけて上昇します。これを十数回繰り返した後で、オスとメスが水面付近で腹部をそろえるようにして放卵放精します(図3)。
△当館で観察されたイラの産卵行動
 1尾のメスの産卵は1日1回ですが、オスはほかのメスと次々に繁殖します。
 受精卵は無色透明の球形で、直径は約0.7oです。一粒づつばらばらになって水中を浮遊し、約44時間で孵化が始まります。孵化したばかりの仔魚は、体長が2〜2.5oでした。
 残念ながら、この仔魚を育てることには成功しませんでしたが、イラの孵化仔魚を初めて記録することができました。

■幼魚の体色変化

△採集したばかりのイラの幼魚
体長55.6mm
 写真1の魚は、1975年5月23日に沼津市江梨沿岸の水深18mの岩礁底で潜水採集されたものです。背鰭の後端に一つの大きな眼状斑があります。体側には不明瞭な暗色横帯が4〜5本あります。ベラの仲間の幼魚だということは分かりましたが、種類が分かりませんでした。そこで、飼育して調べることにしました。
△飼育開始後44日経過
体長64.9mm
 しばらくすると、写真2のように体側の暗色横帯は不明瞭になり、イラの特徴である斜めの斑紋が体側に現れてきました。この時点でやっと種名もはっきりし幼魚期には成魚とはずいぶん違った体色斑紋をしていることが分かりました。
 展示している魚の生態について調べること、これも博物館の大切な仕事の一つです。これからもできるだけたくさんの魚の生態を調べて行きたいと思います。


『海のはくぶつかん』Vol.23, No.3, p.4〜5 (所属・肩書は発行当時のもの)
  ひおき しょうぞう:学芸文化室水族課

最終更新日:1997-03-17(月)
〒424 静岡県清水市三保 2389
     東海大学社会教育センター
        インターネット活用委員会