■『海のはくぶつかん』1993年5月号

駿河湾産深海魚
ススキハダカの採集と飼育の可能性について

久保田 正 

 1986年に日本の水族館で飼育された海水魚は、日本動物園水族館年報(昭和61年度)によれば、約1380種です。最近、新しい大型水族館の開館に伴って少しはその数が増加していると思われます。しかし、その多くは浅海沿岸の種類であり、同年報によれば深海魚として知られるのは軟骨魚類が16種、硬骨魚類が33種の合計49種にすぎないようです。それも長く飼育できたものはごく少数のようです。
 深海生物とは、水深約200mよりも深い海にすんでいる生物を指していますが、これらの生物を水族館で飼育・展示するのは極めて困難であるといわざるを得ないのが実状です。その理由は、深海生物の生態が良く分っていないことと、生物を深海から採集する方法、飼育可能な良好な状態で入手さらに保存する方法、適切な飼育環境などに問題があるからでしょう。深海生物は、日常見なれた魚と違う形をしていたりするため魅力があり、飼育に成功して水族館で展示することができれば、その意義は学問的にも大きく、価値は高いものと思われます。

写真1. 夜間表層稚魚ネットで採集したススキハダカ

 ところで、三保半島の先端に位置する東海大学海洋科学博物館は駿河湾の海浜にあります。駿河湾は世界有数の深海湾で、ここには沿岸性、浅海性、深海性などの多くの魚類が生息しています。現在、駿河湾産の魚類は、1100種ほど記録されていますが、そのうち深海魚は、益田ほか(1984)の「日本産魚類大図鑑」(東海大学出版会発行)を中心として各種データを加味して整理すると、軟骨魚類41種と硬骨魚類329種、合計370種ほどになります。当博物館はこれらの深海魚を始めとして、カニ・エビ類、ナマコ類、ヒトデ類、クラゲ類などの深海生物を採集飼育するには恵まれた環境にあるといえます。
 筆者は、昨年(1992年)11月19日東海大学の調査船「東海大学丸二世」で駿河湾内の土肥沖の水深1000m付近で大型ネットによる、動物プランクトンの採集を昼夜別に約1時間の曳網で行いました。これから紹介するのは、この航海で夜間(18:00〜24:00)表面で採集された深海性魚類のハダカイワシ類のことです。
 ハダカイワシの仲間は、動物プランクトンを捕らえて食べ、一方でカツオ・マグロ類、サケ・マス類、スルメイカ、イルカ類などの大型海洋生物の重要な餌料として役立っています。

写真2. ススキハダカの雄(上)と雌(下)
鱗は円鱗で剥がれやすい(側線鱗が数枚残っている)単位:mm

 駿河湾に生息するハダカイワシ類は、昼間は水深150〜300mにいて夜間に海表面近くまで上昇する種類(夜表性)、昼間は水深200〜400mにいて、夜間は20〜150m位まで上昇するが、表面までは上がって来ない種類(中層上昇性)、それから夜も上昇移動はしない種類(非上昇性)の3つのグループに分けることができます。
 このように昼間は深い水層にいて夜間に上昇してくる行動のことを日周鉛直移動と呼び、駿河湾でも日周鉛直移動を行っている深海生物が少なくありません。
 そのため昼間の海と夜の海とでは、海の表面近くで採集される生物の種類が全く異なっていて、海の表面で夜間に深海魚を採集することも可能です。プランクトンの研究者からみると、夜間の海の表面からはいろいろ思いがけない生物が採集されるのでより楽しいものです。
 ところで話をもとへ戻しましょう。昨年の調査航海中、夜間に稚魚ネット(口径1.3m)で表面1時間曳網を4回行ったところ、多くのハダカイワシ類を採集することができました。夜表性の6種が採集され、そのうち最も個体数が多かったのは、日本近海でも普通にみられるススキハダカ、Myctophum nitidulumでした(写真1,2)。この種は、外形から雌雄の判別ができます。尾柄の上方に発光腺(板)を持つ個体が雄、一方下方にこれを持つのは雌です。

写真3. アラハダカの雄(上)と雌(下)
鱗は櫛鱗で剥がれにくい 単位:mm

 また本種は、元来鱗が剥がれやすい種類です。曳網の最初の頃に入った個体は、ネット内でもまれて鱗が失われてしまい、なかなか良い個体が得られ難いのです。たとえ曳網終了近くに入ったと思われる鱗が付いている個体であっても、水槽に入れると興奮状態になり、泳ぎ回って体を壁面にぶつけて鱗を自分で落としてしまう行動が今回も観察できました。(このように多量の本種を採集できた機会を持てたのは、今回で2回目です。前回は、1987年9月で今回と同じ海域でした。)
 前回の水温は、表面から水深約50mまでは約26℃であり、以下徐々に下降し、水深約300mで10℃でした。今回の水温は、表面で20℃で、深くなるに従って次第に低くなり、水深約300mでは10℃で、前回(1987年9月)の時とほぼ同じでした。前回も今回も300m層の水温が共に10℃であることが注目すべき共通点で、ここに採集時期のKey Pointがありそうです。
 本湾産のハダカイワシ類は、50種類が報告され、特に9〜12月の秋季にその種類や量が多いとされているので、これらの物理的環境要因の整った時期をねらって採集を繰り返すと、本種を採集することができると思われます。
 ススキハダカや他のハダカイワシ類の採集に当たっては、網地を用いずキャンバスやビニールですくい取り、できるだけ魚を驚かさずに容器に収容する工夫が必要と思われます。日本近海には、アラハダカ、Myctophum asperum という種類もいっしょに出現することが知られています(写真3)。
 本種は、夜表性であり、外形的な雌雄の特徴からススキハダカの近縁種とされています。しかしススキハダカは円鱗(えんりん)であるのに、アラハダカは櫛鱗(しつりん)である点が大きく異なっています。この点から、アラハダカの方が鱗が剥がれにくいのでむしろ水族館での飼育に適しているかもしれません。ただしこの種も生態に関する情報は全くありません。
 いずれにしても深海生物の飼育・展示は、入手しやすい種類から着手し、いつ、どこで採集(入手)することができるか、さらにどのようにして水族館まで運ぶかなど少しづつでも難関を乗り越え問題を解決して行くことが必要です。そのような意味において本報告は、基本的な資料として重要な知見であると思われます。


『海のはくぶつかん』Vol.23, No.3, p.2〜3 (所属・肩書は発行当時のもの)
  くぼた ただし:東海大学海洋学部水産学科教授

最終更新日:1997-03-17(月)
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