■『ふれあいBOX』1996年10月号

地球プレイバック 「新生代の仲間たち」7

マントをまとったサイ ケサイ

柴 正博

 奇蹄目サイ科。コエロドンタ・アンティクイタティス。体調3メートル、体重3トン。更新世後期のユーラシアに生息。
 全身が毛皮に覆われていたため、ケ(毛)サイ、ケブカ(毛深)サイと呼ばれる。
 東海大学自然史博物館には角の痕跡があるケサイの頭骨(70センチ)が展示されている。

 更新世後期(10数万〜1万年前)頃、地球は寒冷期と温暖期が交互にやってきて、生物にとっては厳しい時代でした。
 その時代、イギリスからシベリア東部にかけて広がったツンドラ〜ステップ地帯に、体長3メートル、肩までの高さ1.6メートルのケサイが生息していました。
 ケサイは頭が大きく、鼻と目の上に二本の角を持っていて、鼻の上の角は1メートルを超えます。全身は褐色の長い毛で覆われていました。
 シベリアの永久凍土やポーランドの塩分と石油を含んだ層から、ひずめや目、茶褐色の毛がついた皮膚まで保存された完全な「遺体」で見つかっているので、その姿や色などがわかります。
 胃や腸の内容物や歯の間に残っていたものから、ケサイは草や木の葉などを食べていたようです。
 氷河が大きくなる寒冷期には、海面が低下してベーリング海峡が陸になりました。そのため、ほぼ同じ時代にユーラシアに生息したマンモスやバイソンなどは、ベーリング海峡を通って北アメリカに渡ったのですが、なぜかサケイは北アメリカでは発見されていません。
 ケサイの骨は、旧石器時代の遺跡から発見されていますが、マンモスその他の動物と比べると数が非常に少ないので、その性質が激しかったか生息数が少なかったために捕獲が難しかったと考えられます。
 フランスのフォン・ドゥ・ゴール洞窟やコロンビエル洞窟の旧石器時代後期の壁画には、ケサイが描かれています。特にコロンビエル洞窟の壁画は、4本の矢のようなものが刺さったケサイが描かれていて、人間の祖先の新人(クロマニョン人)とケサイとの戦いが想像されます。
 壁画に残すほど人間の祖先との関わりが深いサケイですが、中石器時代、新石器時代の遺跡からはケサイは発見されていません。当時の気候の変化が植生や動物の分布を大きく変化させたことなどが、ケサイの絶滅の大きな原因と考えれられますが、もしかしたら人間の祖先による狩猟がケサイの絶滅に多少なりとも関わったのかもしれません。



『ふれあいBOX』1996年10月号 (所属・肩書は発行当時のもの)
  しば まさひろ:学芸文化室博物課

最終更新日:1997-04-01(火)
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