■『ふれあいBOX』1996年3月号

地球プレイバック 「新生代の仲間たち」1

絶滅した北の海の人魚 ステラー・カイギュウ

柴 正博

 1741年秋、「ベーリング海峡」などにその名を残す冒険家ベーリングを隊長とする第2次シベリヤ探検隊の船は、カムチャッカ半島の東の海で遭難し、小島に漂着しました。ベーリングをはじめ隊員の半分以上が飢えと寒さのためにここで命を落としました。生き残った一人、科学者のステラーはこの島にいたラッコやトド、オットセイなどの動物を発見して詳しい報告を残しています。その中に、後にステラーカイギュウと名づけられた哺乳動物がいました。
 ステラーカイギュウは、大きいものでは9メートルにもなり、歯はほとんど退化していていました。浅瀬の海藻を前足でとらえて食(は)み、そのゆっくりと優しい動きはまるで牛のようだったため「海の牛」という名前がつけられました。ステラーカイギュウは子供を取り囲んで家族で群れをつくり、一夫一婦制で生活していたようです。
 当時は、この島の周辺にしか生息していなかったのですが、10万年前の化石の分布をみると、日本からカリフォルニアあたりまで生息していたようです。
 カイギュウの仲間は、現在、太平洋に生息するジュゴンと、大西洋に生息するマナティーの2種類ですが、中新世(2500万年〜500万年前)以降の地層からはたくさんの種類の化石が発見されています。
 遭難した翌年になんとか故国に生還した隊員たちは、一躍英雄として迎えられました。そしてステラーカイギュウの話はロシア人の好奇心を駆り立てました。食用になり動作が鈍くて捕獲しやすい動物であったために、あっという間に乱獲されてしまいました。最後の一頭が捕獲されたのは1768年。ステラーカイギュウは人類に発見されてからわずか27年で地球上から姿を消したのです。私たちは今、ステラーカイギュウの姿を骨でしか見ることができません。
 東海大学自然史博物館に展示されているステラーカイギュウの全身骨格標本は、化石で発掘されたものではなく、ロシアで捕獲されたものの複製です。この標本は生物学的な価値と同様に、かつて人間がした愚かな行為の証拠としても重要な標本となっています。


『ふれあいBOX』1996年3月号 (所属・肩書は発行当時のもの)
  しば まさひろ:学芸文化室博物課

最終更新日:1996-08-31(土)
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